「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

父と包丁。

だいぶ物騒なタイトルですが、私にとって「父」といえば「包丁🔪」が連想されます。

なんでか?

話は、高校3年の冬に飛びます。

現在では年間数名が東大に進学する相模原中等教育学校(当時は相模大野高校)に在籍し、部活もやらず現役で大学に合格するべく、御茶ノ水にある駿台予備校に通う日々。学校の成績はまずまずで卒業時の平均評定は4.2でした。現役で合格する事には、何故か疑いを持っていませんでした。しかも、第一志望は神戸大学。いつも志と目標設定は高め。笑。の割に、試験に向けての逆算がしっかり出来ていぬまま、センター試験当日。得意と思っていた数学で、大失敗し、あろう事かセンター試験足切りラインにも程遠いという結果に。焦って、受験可能な私立大学を3校にエントリーするも、各大学向けの対策も出来ておらず、学校の定期テストを受けるようなノリでいたところ、あえなく撃沈。全滅でした。

 

現役で受からなければ、就職と言われていた事もあり、目の前が真っ暗になりました。

腹括って就職するという選択肢はどうしても選べず、両親に1年だけ浪人させて頂く事をお願い致しました。学校の成績はまずまずだった事もあり、予備校の費用も半分で、予習復習に時間をさけるよう地元の町田の予備校を選択し、お願いしたところ、「本気でやるのか」と確認があり、「もちろん」と即答し、浪人させて頂く事となりました。

 

浪人生になってから頑張ればいいや、と元来の怠け癖が出てきて、しばらくの間テレビ見てはゲラゲラ笑っていました。その時には、浪人のお願いをした真剣さのカケラもありません。喉元過ぎれば熱さを忘れるです。その姿を見て、父の怒り💢は高まっていきます。

 

父「勉強しないなら、浪人させないぞ」

左「はぁ?予備校行ったら、ちゃんとやるし」

父「最低でも、俺以上の学校(法政大学)に行かないなら、受験やめろ」

左「親父は付属高からエスカレーターじゃん。受験した事もないのに偉そうな事言うなよ」

 

僕はイキって、自分の部屋に戻りました。しかも、扉を叩きつけるように思い切り閉めて。

しばらくの沈黙の後、僕の部屋の扉が開きました。

そこには、包丁を持って仁王立ちする父。

その奥には、うろたえる母。

こんな事で、人生終わるのかと漠然と考える私。

 

父「お前、本気でやるのか、どっちだ。」

左「もちろん、本気でやります」

父「じゃ、明日からやれ」

左「はい」

 

という事で、気合いが入り、浪人生活もだらけずに、過ごす事が出来ました。

父には、感謝です。あの時、包丁🔪での脅しがなければ、ズルズルとダラダラとした生活を送り、受験や勉強にも自信を持てないままだったかもしれないですね。いや、きっとそうなっていたでしょうね。映画のカメラマンであった父は、めちゃくちゃ職人気質で、細かい。昔は、そういうところが大嫌いでしたが、自分が父親となり、子供と接する時はついつい「本気か?」と問う自分がいます。血は争えないですね。パーキンソン病となった今、包丁持つ手も震えちゃうので、子供に包丁🔪を向ける事は無いし、出来ないですけどね。笑。