「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

ブーメラン。

生まれた高井戸は環状8号線(通称、環8)が通っており、交通量が多く、排気ガスも多い場所であった。幼少期は身体が弱く、ひとりっ子であった事もあり、両親は我が子の健康を気遣い、神奈川県相模原市へ転居する。


祖父母が、小田急相模原駅にある国立病院の近くに住んでいた事もあり、よく遊びに行った記憶がある。合わせて、思い出すのは、その近くにあったピローグ万作というロシア料理店。何故かここのピロシキがめちゃくちゃ美味しかった事を覚えている。祖父母の記憶とピロシキの記憶は繋がっている。


また、優しい祖母との記憶は鮮明だ。

祖母は若かりし日は、女優をしており、名カメラマンと言われていた祖父と結婚した。年老いて、腰が曲がって歩く姿しか知らぬ幼少期の私は、その姿を「ブーメラン」と命名した。


周りの大人たちは「上手い事言うね」と煽てるので、いい気になって、祖母の事を「おばあちゃん」ではなく、「ブーメラン」と呼んだ。祖母はずっと笑顔だったが、本当のところはどう思っていたのだろうか。


現在、私はパーキンソン病と診断され、顕著な症状は、「左脚の固縮」と「腰曲がり」なのである。歩く姿勢はまさに「ブーメラン」である。「遺伝」なのか「言霊」なのか。現時点では不明である。