「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

姉。

私は、ひとりっ子である。

なのに、パーキンソン病と診断された時、脳裏によぎったのは、祖母のほかに姉である。といっても、姉はこの世には誕生していない。そう、水子である。

私が生まれてくる前、母は映画やテレビドラマのタイムキーパーという仕事で多忙を極めていた。今の時代のような働き方ではない事に加え、タイムキーパーは緻密さが要求される。

例えば、映画やテレビドラマでは、台本通り頭から撮影するわけではなく、順番はバラバラに行われる。そうすると、シーンに合わせた俳優さんの衣装などを事細かにチェックしておく必要がある。少しでも違っていると編集した時に、ヘンテコな作品となる。撮り直しとなれば一大事だ。よって、パズルを解くような集中力で、長時間労働するので、心身共に疲弊するハードな仕事なのだ。

そんな状況下で、妊娠していた母は、階段を転び、姉を流産する事になる。姉の存在を知るのは、小学生になってくらいである。毎年お参りしていた鎌倉の長谷寺での何気ない会話からだったと思う。

父が藤沢の鵠沼海岸出身だった事から、毎年夏休みは湘南海岸で過ごしていた。弱い身体を鍛える為に水泳を習っていた事もあり、海で泳ぐのは好きだった。しかし、幼少期の寺巡りは楽しいものではなく、「何でお寺に来なくちゃいけないの?」と聞いた。母から「お姉ちゃんに会いに来てるんだよ」と言われ、「ん?」と思ったが、次第に水子供養というものも理解できるようになり、おぼろげながら、姉の存在を感じるようになった。以後、自分の中に姉が存在し、共に人生を歩んでいる気がしているし、時に近くで見守ってくれているような気がしている。