「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

左利きの憂鬱。

左利きは、「特別な存在」だ。

右利き88%、左利き12%というデータがある。その上、私は、9%のAB型。しかも、日数の少ない2月生まれ。存在するだけで価値があるような錯覚をしてきた。

だから、「人と違う」という事に価値を感じていた。

みんなが「野球」やろうと言えば、「サッカー」でしょとなり、「サッカー」が流行り出すと「剣道」でしょとなる。しかも、ひとりっ子だから、言う事は聞かず、わがままの暴走機関車である。

スポーツに限らず、音楽などもそうだ。

みんなが「BOOWY」いいよねとなれば、「BUCK-TICK」がいいとなり、「BUCK-TICK」がいいとなれば「X」なのだ。

要は、最先端を走ってると思っているだけの天邪鬼な勘違い野郎で、面倒くさい奴なのだ。

だから、大学まで、「サザン」「ユーミン」などの歌謡曲のど真ん中を走っている方々の歌は聞きたくても聞けない心理状態にあった。常に「そんな大衆が聞くようなもの聞けるかよ」と思っていた。面倒くさい上に、ひねくれている。もう手のつけようがない。

「人と違う」のが、レーゾンデートル(存在価値)だから、大衆に迎合する事は「死」を意味する。

だけど、大学に行き、嫌でもカラオケとかに行く必要が生じ、みんながあまり知らない「シングライクトーキング」とか歌ってた。みんな知らないから、盛り上がらない。盛り上がらないカラオケは辛い。となると、歌謡曲に手を染めなければならないというどうでもいい葛藤を経て、歌謡曲を歌うようになると、盛り上がるから、それはそれでいいと思うようになっていく。すると、もう一人の自分が「お前は今まで何にこだわっていたのか」と自己否定が始まり、自己肯定感がなくなり、自信喪失してゆく。

そして、酒を飲んでハイになって、飲み過ぎて後悔してを長年の間繰り返してきた結果、今では「欅坂46」いいよねとか言っている。かくも、人生は分からんものである。

特別な存在である「左利き」は、最近、若年性パーキンソン病を患い、更に「特別感」に磨きをかけて、日々の些細な事に悩む憂鬱な毎日を過ごしている。