「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

わこさん続き。

「よろこんで」と言った彼女は泣いていた。

その瞬間、私は彼女を幸せにすると決めた。場所は表参道のカラオケ店。ムードも、指輪もないプロポーズだ。翌週には、彼女のご両親に挨拶。年が明けて、すぐ私の両親に挨拶。そして、当時私が住んでいた赤羽のアパートで同棲開始。週末はほぼ式場探しと、式の準備が我々のデート。

 

1999年10月11日に入籍し、同年11月6日に挙式。

場所は鎌倉プリンスホテル。彼女が鎌倉で陶芸を習っており、私が幼少期から夏は鎌倉で過ごしていた事もあり、「鎌倉」が2人の共通項だった為だ。ご列席頂いた方々にはご足労をかけてしまったが、両家で100名を超える盛大な披露宴となった。挙式で思い出されるのは、在籍していた会社の社長が国会証人喚問される時期と重なり、主賓としてお招きした常務の他、営業時代にお世話になった役員、部長陣が緊急の幹部会議の為、前日になって欠席となる事を社長直々に言われた事だ。席を埋めるべく人材開発室メンバー全員を強制参加してもらう事にし、席次を作り直し、キンコーズで印刷したのも、今では良い思い出だ。

 

彼女が小学4年の時、彼女の父は倒れた。

脳内くも膜下出血である。結婚のご挨拶の際、初めて彼女の自宅に訪問した時に、寝たきりであった。会話は出来たが、言っている事が分からない事も多かった。お母さんも、お姉さんも明るかった。すごいなぁ、と思った。私が同じ状況になっていたら、明るく振る舞う事も出来ず、グレる事も出来ず、世の中と親を恨み、愚痴ばかり言う引きこもりになっていただろうと思う。彼女に対しての尊敬の一つはここにある。そして、初デートから約1年での結婚となった事もあり、お父さんもまだ何とか歩けた。バージンロードを2人で歩いてもらえたのは、結果的に良いプレゼント🎁となったようだ。

 

早いもので、今年は結婚20周年。

身体の不調が出てくる40才頃まで、私は家庭を顧みず、仕事一筋で育児や家事は丸投げ。加えて、私の両親との14年間の同居。文句も言わず一緒に過ごしてくれた事に感謝あるのみ。そして、いよいよ恩返しというタイミングで、私がパーキンソン病発病。苦労ばかりかけて、申し訳ない。節目の年のお祝いは難しいかもしれないけど、2人の高校生がもう少し大きくなったら、お祝い🥂しようね、わこさん。