「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

小学時代。

一番影響されたのは、小4〜6年の3年間担当の「はっせん」である。型破りな女教師である。雪が降れば雪合戦。5月に向けて鯉のぼり自作。球技大会、なわとび大会、運動会の組体操などやるとなったら徹底的にトコトンやる。クラスの誰かが転校するってなったら、陰でその子の為にサプライズパーティー企画したりした。

とにかく、何やるのも本気。

クラスで誰かがいじめられているらしいとなれば、授業ストップして日が暮れるまでホームルーム。「みんな目をつぶって。今、正直に白状したら、みんな許すから」みたいな事をいつもやっていた。

「はっせん」のお陰で、学校へ行くのは楽しかった。そして、自分の感情の出し方を学んだ。この時は、良く笑ったし、良く泣いたし、真剣に議論した。自分の青臭い部分は、この時代に形成されたと思う。

「はっせん」が、「卒業したら、20才の何年何月の第何土曜日に、校庭のジャングルジムの前で、また会おう」とか言って、本当に集まった。そして、2度目の成人式の40才の時も集まった。

パーキンソン病になったと年賀状で報告したら、パーキンソン病の方が書かれたエッセイを送ってくれた。数ヶ月前に、そのお礼を兼ねてご挨拶へ神奈川県大和市へ伺って近況報告させて頂いた。

今でも東林小6-1組の仲間とはLINEで繋がっていて、仲間の一人が今度アメリカから帰国する。みんなで集まろうと言っている。最近、脚の動きが芳しくないから、相模原まで行くのは不安だが、「はっせん」が築いてくれたこの結束によって出来た6-1組会には、身体が動くうちは参加したいと思う。

「はっせん」には感謝しかないし、只々健康で長生きして欲しい。そして、たまにみんなで集まり、昔話に花を咲かせたいものだ。