「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

予備校生活。

高校時代の反省で、浪人時代は移動に時間を掛けずに、近所の町田で浪人生活する事を決意。

新設の早稲田予備校の「一期生」として入学。また、センター試験の時、風邪をひいて体調を崩した反省もあり、浪人生活中は週3日でスイミング🏊‍♂️。大きな決断は「国立」を断念し、「私立」一本に。3科目のうち、「英語」「国語」は迷わず決定。迷ったのは、「数学」をどうするか。センター試験の失敗が大きく尾をひいており、暗記で得点を確保する方が合格確率が高いと考えて「社会」を選択。社会の中では、消去法で「日本史」を選択。

予備校が早稲田予備校という事もあり、第一志望は早稲田。将来はマスコミで働きたいと考えていた事もあり、「第一文学部」を第一希望。第二は「第二文学部」と決めた。文学部は、「英語」「国語」「小論文」が受験科目の為、浪人生活では「英語」「国語」「日本史」「小論文」の4科目を勉強する事になった。

浪人生活を充実したものにしてくれたのは「小論文」のおかげ。

担当の川崎先生は「文章の書き方」というよりも、「文章の読み方」に重点を置いたゼミ形式の授業で「作者の思考」を読み解くもので、高校までの授業とは異なり楽しかった。また、「成功とは何か」とか哲学的なテーマを考えるのも楽しく、授業の後は飲み会で議論を戦わせるのも楽しみとなり、浪人生活を張りのあるものにしてくれました。ただ、予備校を卒業後、川崎先生はガンを患い、お亡くなりになりました。クリスチャンであった先生は、信念を持って、闘病生活では放射線治療や投薬されませんでした。最後にお目にかかった時は、ゲッソリと痩せこけた姿で、何とも言えない気持ちになった事を思い出します。上智大学の教会での葬儀は今でも印象に残っています。

また、もう一つの課題である「日本史」は難儀しました。

とにかく、暗記が苦手なので、基本的な項目を頭に叩き込むのだけでもひと苦労でしたが、予備校仲間が勧めてくれた「東進ハイスクールの横田先生」の授業が分かりやすく、短期間でポイントをおさえた内容で、一気に理解が進み、何とかなりました。

受験前には、何とか準備万端となり、現役の時とは全く違う心持ちで試験に臨めました。

結果、第一志望の早稲田の第一文学部以外はほぼ合格致しました。合格した学校の中で、最後の最後で悩んだのは、「早稲田大学第二文学部」に行くか「学習院大学経済学部」に行くかでした。結果としては、夜間よりも、昼間の学生生活を送る方が良いであろうとの声が多く、「学習院大学経済学部」を選択し、1992年4月に入学する事となります。