「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

大学時代。

1992年4月に、学習院大学経済学部経済学科に入学。

f:id:hidarikikin:20190512235217j:image

大学では、高校時代の反省を活かして、ちゃんと部活をやろうと考えます。出来れば、大学から始められるスポーツが良いと考え、「体育会 航空部」の話を聞きに行きました。すると、「君は内部?外部」と問われ「県立です」と回答。「あっ、外部ね」とやや見下された感じで回答され、「うちの部活、結構お金掛かるんだけど、バイトせずに年間100万くらい捻出出来る?」と言われ、どちらかと言えば裕福ではない家の出身なので、即答で「無理です」と回答。「だよねー。せっかく来てくれたから、お昼でも一緒に食べよう」と連れていかれたのが、現・天皇陛下(当時の皇太子様)が良く利用されていたフランス料理店に連れていかれ、汗かきながら、フォークとナイフを使って何か美味しいもの(もはや何を食べたのか当時から記憶がないのだが)をご馳走して頂いた事を記憶している。同時に、「学習院ってほんとこういうところなのね」という洗礼を受けた日となりました。

その翌日から単独行動を辞め、高校の同級生である「トシオ」と一緒に部活巡りし、何故か「放送研究部」に入る事となります。理由は、ハッキリしており、元々マスコミ志望であった事、マニアックな音楽の話が出来る先輩がいた事、おもろい同級生がいた事、綺麗な女性の先輩がいた事、そして飲み会が超楽しかった事である。

f:id:hidarikikin:20190512235308j:image

部活以外では、京橋千疋屋の表参道店でのアルバイトに力を注ぎました。部活がない時は、ほぼ朝から晩までバイトしてました。高校までは清掃業の単発バイトくらいしかした事なく、接客業は未経験。だけど、妙に自信はあり、面接に行き、合格。ただ、最初は右も左も全く分からず、動きも悪く、店長からは「あいつは3日で辞める」と思われていたようだ。ところが、私は出来ない事が出来るようになっていく事が楽しくなり、結果大学卒業までの4年間こちらでお世話になる事となる。世の中面白いものだ。

そして、学業は経済学科の科目はあまり面白いと思えるものがなく、3年からのゼミでは経営学科の人気ゼミ「河合ゼミの経営戦略論」に応募して、見事合格。ゼミに入ると、優秀な奴が多いのと、テニスが上手い奴ばかりというゼミで、経済学科から入ったメンバーは皆、テニス出来ず、ゼミ合宿ではテニス三昧な日々を、出来るメンバーの足を引っ張りつつ、楽しませてもらいました。

f:id:hidarikikin:20190512235314j:image

大学時代は、そんな「部活」「バイト」「ゼミ」の3本柱で過ごします。大学時代の繋がりは、意外と卒業後も続き、「部活」ではOBOG会の役員を8年やったり、先輩からのお誘いで母校学生の就活支援「メンタイ」への参加、「バイト」先の先輩で焼き鳥屋さんで独立された方のお店には今でも行くし、「ゼミ」の仲間とは、卒業後欠かさず新年会で集まる関係です。昨年パーキンソン病と診断され、今年から会に出席するのが難しいと伝えたところ、みんなの寄せ書きをした色紙と写真を送ってくれ、泣けました。

なんだかんだ、良い仲間に恵まれた青春時代と言えるでしょう。恋話もあったりしてね。