「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

初海外は、中国。

初の海外旅行✈️は、「中国🇨🇳」でした。

しかも一人旅。バイト先の武くんが実家の中国上海に里帰りするにあたり「遊びに来るか?」と言われ「OK🙆‍♂️宜しく」のノリで行く事に。しかも、大学の同級生(こちらは海外旅行の達人)が同じ時期(1993年夏)に、中国の敦煌へ行くというので、「じゃ、北京で待ち合わせしようぜ」とハチ公前で待ち合わせのノリで旅行日程を決めた。

英語も出来ない。中国語も習っていない。

第2外国語はドイツ語という状況で、ただノリだけで決めた中国旅行。北京の事をベイジンと呼ぶ事すら知らない。1、2、3も言えない。北京首都国際空港に夜中に到着し、ホテルへ行くのにタクシードライバーにガイドブックに引用されている例文通り伝えるものの、言ってる中国語が全く聞き取れない。でも、車は発進。不安、不安、不安。何とか目的のホテルらしきところに到着。料金も言われるがまま支払う。ガイドブックに書いてあった情報ではもっと安いはずだが、仕方ない。そして、友人と会って、その話をすると「完全にぼったくられたね。笑」という洗礼を受け、翌日からどうすべきかの作戦会議をして、就寝。友人は朝イチの便で日本🇯🇵へ。

残された私は、ただただ不安。

こうなったら行動あるのみ。まずは、タクシーで北京駅まで行き、あとはひたすら歩き廻る。交通機関で騙されるのはこりごりだったから、ひたすら歩いた。故宮天安門広場、王府井など見て、上海行きの列車のチケットと購入するべく北京駅へ。

列に並び、ガイドブックの例文通り話す、見せるものの「無いよ」と一点張り。また、並び直し再チャレンジ。また、「無いよ」と。でも、他の中国人はチケットを買っていく。同じ事を繰り返しても、ラチがあかないと思い、駅前で日本人バックパッカーを探し、チケット購入のお願いをする事に。しばらくすると、いい感じに無精髭生やした方がいて、お願いしてみた。快く対応してくださり、チケットも購入出来た。そして、お礼に夕食と青島ビールをご馳走させて頂き、中国旅行の注意点をお聞きして、別れた。この日の食事は、最高に美味かった。

そして、12時間かけて夜行列車で上海へ。

寝台列車なので、一緒に乗り組んだヨーロッパのカップル、中国人家族と会話(ほぼ筆談)し、列車から見た朝焼けがとっても綺麗だった。夜行列車の旅も良いものだなぁとしみじみしているうちに、上海駅に到着。

そして、本来の目的である武くんのお家へ!

行きたかったのだが、電話番号と住所しか情報がなく、ご自宅に電話するとお父さんと思われる方が、北京駅チケット売り場で言われた「無いよ(中国語で)」を連呼。いない事は分かったが、さてどうするか。今みたいにスマホはない時代。しかも、中国はとにもかくにもデカイ。とにかく、武くんの家の方へ行くしかない。タクシーで住所を伝え、おそらく近所まで来たはず。そこでまた電話。また、お父さんが出て「居ない」との事。万事休す。炎天下、バックパック背負って、歩き回ったからくたびれ、見つけたユースホステルに宿をとり、今一度電話したが「居ない」との事。次第に、武くんに対しての怒り💢が沸き上がってくる。ただ、発散の仕様もなく、ホテルの番号を伝え、シャワー浴びて、ふて寝した。「何の為に、上海来たと思ったんだ!日にちも伝えておいたじゃないか!これだから、中国人は困る!」