「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

中国旅行の続き。

部屋の電話がけたたましく鳴る📞。

声の主は、武くんだ。ホッとした。日本語で会話できる事がこんなに有難いとは思わなかった。そして、暫くすると迎えに来てくれて、夕食をしに、街へ。何を食べたかはよく覚えていないが、「国営のお店で不味い時はお金を払わなくても良い」と言ってた事を覚えている。今でも、「本当に払わなくて良かったのか」不思議に思う。

その翌日から3日間ほど武くんの家に居候させていただく事になる。

朝は路地の5角で食べられるラーメン。これがめちゃくちゃ美味い。夜は、ご家族と一緒に立派なお店で食事。その時初めて火鍋を食べた。辛いのがダメな私は、お尻が炎上。ドアのないトイレの洗礼を受ける。その時、生きたカエル、猿の脳みそを食べた。イメージはグロいが味は美味しかった。先入観で何事も判断してはならないな、と腹痛で苦しみながらトイレでおぼろげに思った。

色々な観光地にも連れて行ってもらったが、上海の街に「ヤオハン」「伊勢丹」があった事が嬉しいと思った。それ以上に印象深かったのは、中心部の横には、だだっ広い土地があり、建物を建てているが、足場が竹だった事。イメージは、戦後の日本。この国は、これから爆発的に発展するんだろうと直感的に思った。当たっていた。ただ、この時、中国へ飛び込む勇気が無かった。行っていたら、どんな人生だったのだろう。

そして、武くんファミリーと涙のお別れをし、北京へ戻り、最後の中国観光をした。その時に出会った日本語堪能な中国人のおかげで、当時外国人料金のあった万里の長城を中国人価格で見学させてもらった。短期間で、どんだけ現地化してるんだよって話。笑。でも、この広大な景色を見て、日本人とは発想のスケールが違う事を思い知らされた。万里の長城で撮った記念写真は、中国人ぽくて、好きな写真の一枚だ。

そんな珍道中だった初の海外旅行。

学んだのは、「言葉が通じなくても何とかなる」という事。

ややもすると、日本人は何事も用意周到に準備してから臨む傾向が強いが、まずは「やってみなはれ」の精神で行動する事によって、得られるものはとてつもなく大きい。失敗も、成功も含めて。このブログを書いていて、気付いたのは、その時の気持ち。これが私の「初心」かもしれない。大学を出て、社会人になって23年。気付けば、チャレンジする事に臆病になっている自分がいる。少なからず守るものが出来、失敗を恐れる自分がいる。「人生一度きりだ、なるようになるさ」と思って、大学2年の20才の私は中国へ行った。あの勇敢な青年から、今の自分を見たらどう思うだろう。なんか小さくまとまってるな。面白くねぇ奴になっちまったな。そう言うのではないだろうか。

パーキンソン病になって、動きは制約されるけれど、不思議と心は解放されてきたように感じている。46才、これから残りの人生賭けて何か勝負してもいいかもね。