「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

バッシング。

東証一部へ上場直後から、同業他社のエゲツない債権回収がマスコミの標的になる。その会社と同じような事をやっているかのような報道がされる。それから、業界大手2社という括りで、連日叩かれ始める。事実無根の報道もあれば、さっきのMTGで話していた事が報道されている事もあった。虚実が入り混じった報道の嵐の中、一つ一つを認めたり、否定している余地はなく、会社としてどういうスタンスで対応するのかが重要であった。

人材開発室としては、内定者に対してどう説明をするかを徹底的に考え、実行した。

しかし、報道の力は強烈で、連日辞退連絡が殺到する。誠実かつ必死に説明を行い、慰留に努める日々。日毎に内定者が減っていく。報道は過熱し、マスコミが本社前に押し掛けてくる。

個人的には、貸付の現場では、法令遵守しきちんと説明をして仕事をしてきた自負があったので、その事を否定される事は自身の仕事を否定される気持ちになり、悔しかった。辞退連絡をしてくる学生には自身の考えややってきた事を丁寧に説明した。こんな日々が数ヶ月に亘り続いた。厄介な事に、こんなタイミングで、結婚式を挙げたりもした。

社長の国会証人喚問。

この時の社長のスピーチを、会社のテレビで見た。従業員を思ったとても胸が熱くなる内容だった。そして、業績至上主義によって生じた負の面を受け入れ、業務改善に努め生まれ変わっていこうとする姿勢も明確に表明した。この会社が生まれ変わる絶好のチャンスだと感じた。

組織改編。

野村證券出身の上司が、新設の業務部の責任者として異動。ナンバー2が事務センター長、ナンバー3が退職。そして、何故か私が人材開発室室長になる事に。あぜんとした。知識も、経験も不足している。ただ、会社を良くしたい、労働環境を良くしたい、働きやすい会社にしたいという思いがあるだけだ。何故そう思うのか。ほとんどの社員が向上心があり、気概あるいい奴の集団だからであろう。人事として、出来る事があれば最大限何とかしたい。周りからの後押しもあり、お引き受けする事にした。ほんと、人生は何が起こるか分からない。

結果、その年の新卒採用は300人強で着地し、胸を撫で下ろした。ただ、冷静に振り返ると800人以上が辞退をした事となる。マスコミの報道の力は怖ろしく強力だ。翌年の新卒採用は、バッシングの余波を受け、10数名の採用で着地する事となる。何としても翌々年の新卒採用はV字回復させたいと考え、リ・ブランディングし、100人を超える採用を達成した。しかし、喉元過ぎれば何とやらで、会社はバッシング前のイケイケな風土に逆戻りしていく。人事の責任者として、阻止出来なかった責任を強く感じ、私は同社を退職する。2001年9月の事である。