「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

所長デビュー後の話。

怖い人にも立ち向かい、難局を乗り越えた私は、やる気に満ちていた!「本社出身の営業所長だ、華々しい業績を上げて、全国に名を轟かせるのだ!」と鼻息荒く意気込んでいた。

まずは、営業所内の大掃除。全ては「整理整頓」からだ。その上で、担当エリアの市場把握、顧客属性分析、現在の営業マンの役割分担などを次々とヒアリングし、確認。そして、仲良くならないとチームはワークしないから、毎週末飲みに行き、カラオケにも行き、お金も全て出し、団結力を高める為にやれる事を粛々と進めた。

本社は恵まれていた。

本社は基本都内は全てがエリアとなるが、営業所は縄張りのようなエリア分けがあり、他のエリアには容易に侵入は出来ない。しようものなら、先輩所長に睨まれる。限られたエリアで顧客を獲得する他ない。また、地域柄もある。中心部は大きな商売をされている企業もあり、時折、大口の融資などもあり、数字を作りやすいが、配属となったエリアは、小口のお客様が多く、日々の数字作りに苦労する事となる。

クソ上司。

所長の上には、ブロック長がいる。こいつと折り合わなかった。性格も、考え方も、見た目も含めて何もかもだ。店舗が違うから、数字の取り纏めは電話とFAXで行う(時代を感じるなぁ)。数字が足りない日は「死ね」と乱雑に書いたものをFAXで送ってくる。そして、金曜日の夜には、ブロック店に顧客ファイルを持って集合。私の営業所には営業車が無かったので、ダンボール数箱に詰めた顧客ファイルをタクシーで運び、MTG。朝までやる事もあれば、真夜中に解散になる事もある。挙げ句の果てには、「お前は本社の鬼👹ツメ上司の時には良くやったけど、俺の下じゃやれねーか」と言われたのには呆れた。私は、誰の下でも一生懸命やるのがモットーだ。お前の下だから頑張らなくて、自分の評価を下げる意味がない。本当にこいつの思考パターンとも噛み合わなかった。

こんな日々が数ヶ月過ぎ、健康診断で血を抜いたら、そのまま意識が遠くなったり、眠すぎるのか、道をまっすぐ歩けなかったり、今までにない体調の悪さを感じるようになり、退職しようと決意。ただ、普通に辞めると言って後でごちゃごちゃ言われるのは悔しいから、軍別店舗ランキング1位の業績をきっちり作って、文句を言われないようにして、退職願をブロック長に叩きつけてやった。

すると、翌日取締役が来店し、近所の喫茶店にて4時間の慰留。結果、人材開発室へ異動する事になる。人生とは、つくづく思い通りにはならないものだ。