「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

「公表」と「引き継ぎ」。

診断後、社長に報告。

転職エージェントの営業として、500社近い企業を担当していた事もあり、動かなくなっていく身体で、担当し続ける事は難しいと考えており、動けるうちに引き継ぐ必要があると考えた。社長に報告するのは勇気が必要であった。何故ならば、ワーストケースはクビだろうし、収入の大幅減だろうし、生活は苦しくなるだろうし、子供達の進路にも影響出るだろうし、良い想像は一つも無かった。ただ、黙っている訳にはいかず、報告。

意外な反応。

「雇用については心配するな。パーキンソン病はショックだが、きっと近いうちに治る病気になる。最近の医療の進歩は目覚ましい。病気にはなっても、病人にはなるなよ。」と。「引き継ぎをする必要もあるので、全社会議の時に共有したい」と話した。「みんなの反応は様々だと思う。ほんと、良いのか?」と聞かれ、「仕方ありません。お客様やギリギリになってから引き継ぐ方が営業にも迷惑をかけるので。」と伝え、数週間後の全社会議で公表する事に。キーマンには社長が根回ししてくれていたようで、意外とスムーズに話は進み、受け止めてくれて助かった。

未投薬での引き継ぎ。

2018年6月から怒涛の引き継ぎ開始。1日3〜5社平均のペースで行った。2018年の夏は暑かった。めちゃくちゃ暑かった。腰曲がりのお爺ちゃんのような姿勢で歩いて、歩いて、歩いた。次第にタクシーの利用頻度も増えてきた。そのくらい歩けなくなってきていた。ただ、薬の副作用よりはマシだろうと意地と気合で引き継ぎに奔走した。

しかし、未投薬も限界だった。

歩けない。歩けないのは、精神的に辛い。この時には、最寄り駅までタクシーを利用していた。そして、会社の最寄り駅からオフィスまで普通なら5分のところ、20分くらいかかるようになっていた。歩けなくなるなんて想像もしていなかったから辛かった。情けなかった。悔しかった。何故か泣けてきた。この状態は続けられない。もう限界だ。半年かけて、重要なスポンサー300社強の引き継ぎを終えて、投薬を開始する事を決めた。この頃には、喋るのもシンドくなってきた。

2018年11月、投薬開始。

若年性パーキンソン病は、進行が遅いとネットに記載があったが、感覚としては高齢者のそれと比べて、進行が早いような気がしていた。薬で少しでも身体が動くようになるなら、その間にストレッチや筋トレして、来るべき治療法が出てくる日まで動ける身体を作ろう。そう考え、副作用のある薬も服用しようと決意したのである。