「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

わこさん。

妻である。

そして、一番の理解者で、親友である。

 

出会いは、1998年9月。

前職の中小企業向けの融資会社で、営業部から人事部(その会社では、人材開発室という呼称であった)へ異動した時だ。異動の3日後、私の席の隣に派遣社員としてやってきたのが、わこさんである。私は好感を持ったが、彼女は「挨拶もちゃんと出来ない無愛想な奴」だと思ったようだ。その後、連日のようにランチへ誘うが、「今日はお弁当」「他の派遣さんと一緒に行く」等々断り文句のオンパレード。中でも「そもそも、何故あなたと一緒にランチへ行かないといけないのですか」という一言は印象に残っている。私は能天気に「席が隣なので、せっかくなので」と必死に意味不明な回答をしていた。

 

きっかけは、人材開発室長の一言。

野村證券出身でM&A等で実績のある室長はとにかく仕事が出来た。特にデータに基づいた洞察力は長けており、三井物産出身の社長も舌を巻くほどであった。営業部から異動してきたばかりの私は、人事としての知見はなく、ノルマをこなすノリで人事の仕事に向き合っていた。営業としても一流の室長はそこを見逃すはずはなく、連日、日経新聞の記事を軸に、経済、会計、金融、歴史等について色々と話をしてくれていた。ある日、室長、私、わこさんの3人しか人材開発室の部屋にいない時に、新聞記事についての質問大会が始まった。その日、新聞を読んでいなかった私は、不勉強を叱責された。ごもっともである。そして、「だから、この会社の奴らは駄目なんだよ。君レベルで営業所長になって、いい気になってるんだから」と。

 

何も言い返せず、ただひたすらに恥ずかしかった。

室長が部屋を出ていき、残された2人。私は恥ずかしさ隠しで、何故か「こういう時はパァーッと飲みに行きたいなぁー。どうですか?」と口走っていた。すると、「いいですよ」と意外な答。嬉しいやらビックリするやら。でも、冷静に携帯番号を聞き出していたのは、営業のなせる術か。そして、初めて2人で飲みに行った日。意気投合して、20時から5時まで3軒はしご酒。翌週も飲みに行った。同じく、20時から5時まで。

 

私は、結婚相手に求める条件を決めていた。①お酒を飲める。②160cm以上。③色白。④肌がきれい。⑤明るい。の5つだ。この条件を、彼女は満たしていた。また、平日も深夜まで働き、土日もほぼ出勤の私には時間はなく、ずるずる恋愛している事は出来なかった。私自身の考えとしても、長く付き合って結婚というよりも、インスピレーションで即断即決出来ないなら結婚すべきではないと思い込んでいた。よって、2回目のデートで、結婚を申し込んだ。