パーキンソン病
何の話やねん!笑 いきなり意味不明ですみません。前回「歩けない」を書いてから、どうすれば歩けるのかヒントを探していました。すると、京都で開催されていたWPC2019に参加された方からLINEで以下のようなコメントが流れてきました。 ………………………………………………………
今朝は体調も悪くなかった。 血圧も、体重もいつも通り。目覚めてから部屋の移動もそこまで苦労はなく、体調は悪くない。むしろ、いい方かも。天気も梅雨入り後の晴れ間のような日差しで、心も晴れやかだ。 最寄りのバス停へ向かう途中から、脚の動きがイマ…
1ヶ月ちょっとの期間書き続けてきた「左利きの憂鬱」のブログも、今日で一旦終了します。 お付き合い頂きました皆様、誠に有難うございます。「若年性パーキンソン病」と診断され、丁度丸1年が経過し、「何故こうなってしまったのだろうか?」と冷静に振り返…
Twitter。 ネットで調べていても、どれも似たり寄ったりの情報ばかりで、当事者の話が聞きたかった。一般的には「パーキンソン病友の会」に加入するのだろう。ただ、ネット上での評判やサイトの作りからもシニアな方々の集団で、同世代はあまりいないだろう…
診断後、社長に報告。 転職エージェントの営業として、500社近い企業を担当していた事もあり、動かなくなっていく身体で、担当し続ける事は難しいと考えており、動けるうちに引き継ぐ必要があると考えた。社長に報告するのは勇気が必要であった。何故ならば…
東大病院。 担当の神経内科の先生は、ジーンズに白衣というラフな格好で、歳は僕より一回りは若そうな男性だ。物腰柔らかく、しっかり今までの経緯についても事細かに話を聞いてくれた。触診も横浜のクリニック以上に丁寧に確認してくれたので、安心した。そ…
最寄り駅まで行くのに、おじいちゃんやおばあちゃんにも追い越され、日に日に歩くスピードが落ちてゆく。営業先へ行くのも倍の時間かかるようになる。日に日に前屈みになり、歩きづらくなってゆく。腰も痛くなる。「原因は何だ」と、時間があれば検索する日…
私が入社した2001年9月は、まさかの全社で「0」であったが、後にも先にもそのような業績であった事はない。ただ、その事により、私は気合いが入った。尊敬する社長のやり方、考え方、話し方をマネた。気付いてみたら、仕事中は「関西弁」になっていた。そし…
部屋の電話がけたたましく鳴る。 声の主は、武くんだ。ホッとした。日本語で会話できる事がこんなに有難いとは思わなかった。そして、暫くすると迎えに来てくれて、夕食をしに、街へ。何を食べたかはよく覚えていないが、「国営のお店で不味い時はお金を払わ…
一番影響されたのは、小4〜6年の3年間担当の「はっせん」である。型破りな女教師である。雪が降れば雪合戦。5月に向けて鯉のぼり自作。球技大会、なわとび大会、運動会の組体操などやるとなったら徹底的にトコトンやる。クラスの誰かが転校するってなったら…
左利きは、「特別な存在」だ。 右利き88%、左利き12%というデータがある。その上、私は、9%のAB型。しかも、日数の少ない2月生まれ。存在するだけで価値があるような錯覚をしてきた。 だから、「人と違う」という事に価値を感じていた。 みんなが「野球」や…
「よろこんで」と言った彼女は泣いていた。 その瞬間、私は彼女を幸せにすると決めた。場所は表参道のカラオケ店。ムードも、指輪もないプロポーズだ。翌週には、彼女のご両親に挨拶。年が明けて、すぐ私の両親に挨拶。そして、当時私が住んでいた赤羽のアパ…
それが、私の母である。 母の兄弟は、弁護士、証券会社の役員、建設会社の役員と皆やり手である。父方の芸術職人肌とは全く違う。母方は商人気質で臨機応変である。母方の父、つまり祖父は土地持ちの商人であった。気前も良く、親分肌であった。ある時、知人…
だいぶ物騒なタイトルですが、私にとって「父」といえば「包丁🔪」が連想されます。 なんでか? 話は、高校3年の冬に飛びます。 現在では年間数名が東大に進学する相模原中等教育学校(当時は相模大野高校)に在籍し、部活もやらず現役で大学に合格するべく、御…
左利きの憂鬱です。 そう言えば、自己紹介してませんでしたね。 祖母や姉の話をする前にしとけよという話ですが、今後の登場人物の説明をするにあたり、アウトラインを共有しておいた方が良いかと思い、このタイミングで自己紹介させて頂きます。笑。 【自己…
私は、ひとりっ子である。 なのに、パーキンソン病と診断された時、脳裏によぎったのは、祖母のほかに姉である。といっても、姉はこの世には誕生していない。そう、水子である。 私が生まれてくる前、母は映画やテレビドラマのタイムキーパーという仕事で多…
生まれた高井戸は環状8号線(通称、環8)が通っており、交通量が多く、排気ガスも多い場所であった。幼少期は身体が弱く、ひとりっ子であった事もあり、両親は我が子の健康を気遣い、神奈川県相模原市へ転居する。 祖父母が、小田急相模原駅にある国立病院の近…
私は昭和48年2月24日の朝方に、東京都杉並区高井戸の病院で、嵐の中で生まれました。 しかし、泣き声をあげず、このままだと死ぬと思われ、ICUに緊急搬送されました。 時はベビーブーム。多くの赤ちゃんが次々に生まれ、看護婦さんも多忙を極めており、睡眠…
初めまして、左利きの憂鬱です。 平成最後の日に、Blogを始める事にしました。 理由は、3つあります。 1つ目は、元号が「平成」から「令和」に変わるというまたとない節目の日であるからです。 2つ目は、昨年2018年5月に難病の若年性パーキンソン病と診断さ…