「左利きの憂鬱」の日記

思い通りにならない日々でも、腐らずに生きていく。

2019-01-01から1年間の記事一覧

厄年。

転職エージェントとして、多くの方の履歴書を拝見させて頂いた。その中には、40代、50代の方も多くいらっしゃいます。その時、チェックするポイントの一つに「厄年」の過ごし方がある。男性の40〜42歳の期間である。 この期間、多くの方が「思いがけぬ事」を…

転職エージェントという仕事。

私が入社した2001年9月は、まさかの全社で「0」であったが、後にも先にもそのような業績であった事はない。ただ、その事により、私は気合いが入った。尊敬する社長のやり方、考え方、話し方をマネた。気付いてみたら、仕事中は「関西弁」になっていた。そし…

転職。

何も決めずに、辞めた。 心身の疲労度はmaxだった。深夜残業は当たり前。転職に向けて準備する余裕はなく、辞める事だけでも大変だった。 有り余った有給消化期間中に、次を決めよう。 とはいえ、最初の1週間は、採用関連のお取引にご挨拶に廻ったり、テレビ…

バッシング。

東証一部へ上場直後から、同業他社のエゲツない債権回収がマスコミの標的になる。その会社と同じような事をやっているかのような報道がされる。それから、業界大手2社という括りで、連日叩かれ始める。事実無根の報道もあれば、さっきのMTGで話していた事が…

人材開発室。

配属された当時、人材開発室は「新卒採用チーム」と「中途採用チーム」に分かれていた。「人事企画」は新卒採用チーム側にあり、「給与労務」は中途採用チーム側にある何とも変なフォーメーションだが、新参者としては何か言える立場にもない。私は「中途採…

所長デビュー後の話。

怖い人にも立ち向かい、難局を乗り越えた私は、やる気に満ちていた!「本社出身の営業所長だ、華々しい業績を上げて、全国に名を轟かせるのだ!」と鼻息荒く意気込んでいた。 まずは、営業所内の大掃除。全ては「整理整頓」からだ。その上で、担当エリアの市…

ちょっと怖い話。

債権回収にまつわる怖い話。 本店営業部時代に、連絡がつかなくなった顧客の元へ実地調査として先輩の代理で訪問。対象となるマンションに到着し、ターゲットの部屋へ行くと「すっかりもぬけの殻」となっている。早速、上司へ電話報告すると「隣の住人にいつ…

営業所長デビュー。

1997年12月31日の大晦日。 営業所長になる為に不足しているタイトル(新規トップ10)を獲得する為、あの鬼ツメの上司と2人で大晦日の朝から営業した。ほんと最終日の夜にギリギリで達成出来た。鬼上司のお蔭だ。自分1人では、諦めていたと思う。 年明けから、…

日本一の「ツメ」。

新任のブロック長は、剣道でも日本一。 数字への執着心は、今まで付いた上司の中で頭抜けていた。「達成」は当たり前、「前倒し」で普通、「如何に前倒しするか」が彼にとっての重要なこだわりポイントだった。正直、「達成」だけでも大変なのに「前倒し?」…

睡眠不足。

当時、相模原の自宅から三越前の本社まで1時間以上かけて通勤していた。朝8時までに出社する為には、6時過ぎには家を出なければならない。夜も0時過ぎまで勤務し、ほぼ毎日終電だ。場合によっては、1万5千円以上払ってタクシーで帰宅していた。家に着くのは1…

『くさりにつながれたゾウ』。

「アメ」の話。 「ムチ」の話はもうしなくてもお察しがつくと思うので、「アメ」の話をしようと思う。人は「賞賛」に弱い。業績を上げたら、徹底的に「褒められる」し、「昇格」も早い。人望とかはほぼ関係なく、業績依存の「昇給昇格システム」だ。加えて、…

「罵声」の恐怖。

当時、貸金業法の上限金利は年利40.004%。 「は?マジ?」と思われると思うが、「マジ」だ。元々は109.5%だったから、これでもだいぶ引き下がったのだ。そもそも、こんな高金利でお金を借りて、企業経営が成り立つわけがないので「つなぎ融資」として短期間…

アポ取り。

新人の最初の仕事はアポ取りだ。 1日割り当てられた地域の中小零細企業に対し、200本電話掛けするのが、最初のノルマ。学生時代、部活の取り纏めで電話をよく掛けていたし、話すのは得意だと思っていたから、「正直楽勝でしょ」と思っていた。 そんなに世の…

キッカケは一枚のハガキ。

そこには「株価日本一の会社」というコピー。 事業内容は中小企業向け融資やベンチャーキャピタル、とある。聞いた事のない会社だったが、バブルが弾け、これからは「中小企業の時代かも」なんて漠然と思っていた事もあり、会社説明会に参加。 今まで参加し…

卒業旅行。

また、海外旅行かよ。 そうなんです。海外旅行なんです。卒業旅行なんです。中国の旅行で、下手に自信をつけてしまったので、卒業旅行は社会人になったら、なかなか行けないところにしようと決めました。 部活の友人は何故か留年組が多く、ゼミの友達である…

中国旅行の続き。

部屋の電話がけたたましく鳴る。 声の主は、武くんだ。ホッとした。日本語で会話できる事がこんなに有難いとは思わなかった。そして、暫くすると迎えに来てくれて、夕食をしに、街へ。何を食べたかはよく覚えていないが、「国営のお店で不味い時はお金を払わ…

初海外は、中国。

初の海外旅行✈️は、「中国」でした。 しかも一人旅。バイト先の武くんが実家の中国上海に里帰りするにあたり「遊びに来るか?」と言われ「OK‍♂️宜しく」のノリで行く事に。しかも、大学の同級生(こちらは海外旅行の達人)が同じ時期(1993年夏)に、中国の敦煌…

大学時代。

1992年4月に、学習院大学経済学部経済学科に入学。 大学では、高校時代の反省を活かして、ちゃんと部活をやろうと考えます。出来れば、大学から始められるスポーツが良いと考え、「体育会 航空部」の話を聞きに行きました。すると、「君は内部?外部」と問わ…

予備校生活。

高校時代の反省で、浪人時代は移動に時間を掛けずに、近所の町田で浪人生活する事を決意。 新設の早稲田予備校の「一期生」として入学。また、センター試験の時、風邪をひいて体調を崩した反省もあり、浪人生活中は週3日でスイミング‍♂️。大きな決断は「国立…

高校時代。

中学時代、南野陽子のファン過ぎて、一時、みんなから「ナンノちゃん」と呼ばれるくらい南野陽子が好きだった。彼女の曲の一つに「春景色」という名曲がある。その曲の歌詞に「紺色の詰襟の〜♩」とある。そう、そうなのだ。進学した相模大野高校の制服は、「…

中学時代。

私は、相模原市立東林中学校の一期生である。 この事が、今後の人生において結構大きな意味を持つ。団塊ジュニア世代の我々にとって、中学校の先輩の存在は恐怖でしかない。ましてやひとりっ子であった私の不安は増幅するばかり。ただ、母譲りの「土俵際の強…

小学時代。

一番影響されたのは、小4〜6年の3年間担当の「はっせん」である。型破りな女教師である。雪が降れば雪合戦。5月に向けて鯉のぼり自作。球技大会、なわとび大会、運動会の組体操などやるとなったら徹底的にトコトンやる。クラスの誰かが転校するってなったら…

左利きの憂鬱。

左利きは、「特別な存在」だ。 右利き88%、左利き12%というデータがある。その上、私は、9%のAB型。しかも、日数の少ない2月生まれ。存在するだけで価値があるような錯覚をしてきた。 だから、「人と違う」という事に価値を感じていた。 みんなが「野球」や…

わこさん続き。

「よろこんで」と言った彼女は泣いていた。 その瞬間、私は彼女を幸せにすると決めた。場所は表参道のカラオケ店。ムードも、指輪もないプロポーズだ。翌週には、彼女のご両親に挨拶。年が明けて、すぐ私の両親に挨拶。そして、当時私が住んでいた赤羽のアパ…

わこさん。

妻である。 そして、一番の理解者で、親友である。 出会いは、1998年9月。 前職の中小企業向けの融資会社で、営業部から人事部(その会社では、人材開発室という呼称であった)へ異動した時だ。異動の3日後、私の席の隣に派遣社員としてやってきたのが、わこさ…

男なら天下を取る手相の持ち主。

それが、私の母である。 母の兄弟は、弁護士、証券会社の役員、建設会社の役員と皆やり手である。父方の芸術職人肌とは全く違う。母方は商人気質で臨機応変である。母方の父、つまり祖父は土地持ちの商人であった。気前も良く、親分肌であった。ある時、知人…

父と包丁。

だいぶ物騒なタイトルですが、私にとって「父」といえば「包丁🔪」が連想されます。 なんでか? 話は、高校3年の冬に飛びます。 現在では年間数名が東大に進学する相模原中等教育学校(当時は相模大野高校)に在籍し、部活もやらず現役で大学に合格するべく、御…

今更の自己紹介。

左利きの憂鬱です。 そう言えば、自己紹介してませんでしたね。 祖母や姉の話をする前にしとけよという話ですが、今後の登場人物の説明をするにあたり、アウトラインを共有しておいた方が良いかと思い、このタイミングで自己紹介させて頂きます。笑。 【自己…

姉。

私は、ひとりっ子である。 なのに、パーキンソン病と診断された時、脳裏によぎったのは、祖母のほかに姉である。といっても、姉はこの世には誕生していない。そう、水子である。 私が生まれてくる前、母は映画やテレビドラマのタイムキーパーという仕事で多…

ブーメラン。

生まれた高井戸は環状8号線(通称、環8)が通っており、交通量が多く、排気ガスも多い場所であった。幼少期は身体が弱く、ひとりっ子であった事もあり、両親は我が子の健康を気遣い、神奈川県相模原市へ転居する。 祖父母が、小田急相模原駅にある国立病院の近…